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光明寺について

光明寺について

光明寺の歴史は、総本山知恩院著書『蓮門精舎れんもんしょうじゃ旧詞』に「光明寺遠照山、攝州川邊郡西難波村開山不知せっしゅうかわべぐんにしなにわむらかいさんしらず但文禄たんぶんろく二年(1593年)單阿彌たんあみ住居、起立・天平元年己巳年(729年)創一宇、其後人皇五十四代仁明天皇御宇(833-850年)悉焼失故再建之伝説也、委細縁起在之、其外不詳」とされています。
光明寺は729年に建立されたとされています。このころは行基ぎょうき上人の活躍された頃で、この光明寺の開山も行基ぎょうき上人ではないかとされています。

本尊ほんぞん善光寺式阿弥陀如来ぜんこうじしきあみだにょらいで、中尊ちゅうそんは鎌倉時代に鋳造された金銅の仏さまです。(右手は江戸時代に修復)また、明治の頃に光明寺境内にあった明覚寺のご本尊が、阿弥陀池の和光寺へ遷座せんざされたと伝えられています。

歴史

  • 729年

    開山

    光明寺は729年に建立されたとされています。このころは行基ぎょうき上人の活躍された頃で、この光明寺の開山も行基ぎょうき上人ではないかとされています。

  • 1945年
    7月20日

    全壊

    大東亜戦争の尼崎空襲により本堂庫裡等が全壊する。しかし、本尊佛は第26世道朗上人の配慮に依り事なきを得る。爆撃により不動明王像(江戸時代作)が被害を受け顔面のみ焼け残る。

  • 1967年3月

    本堂再建着工

    檀信徒の協力により本堂再建着工し、同年九月に完成、同年十一月十二日落慶式を厳修する。

  • 1995年3月

    阪神淡路大震災

    午前五時四十六分、阪神淡路大震災により、山門の倒壊、書院・庫裡くりが地盤沈下により使用不能となる。

  • 2002年

    書院・庫裡くり完成

    檀信徒の協力により、書院・庫裡くり完成する。

  • 2003年4月

    尼崎大仏建立

    山門の倒壊跡地に尼崎大仏・合葬墓 阿弥陀如来坐像を建立。

  • 2012年
    3月18日

    観音・勢至菩薩をお迎え

    春彼岸に於いて、須藤光照仏師作 観音・勢至菩薩をお迎えし開眼
    現在に至ります。

 
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知恩院

アクセス

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【住所】
〒660-0893 兵庫県尼崎市西難波町5-9-20

【交通・アクセス】
・阪神バス「東難波町3丁目」下車梅の里交差点を西へ300m
・阪神バス「難波」下車 国道2号線 東京三菱UFJ 銀行北へ450m

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【駐車場】
光明寺の北側に14台